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新米校長の本音(その2) 「価値のある体験」

私は、山間地の農家に生まれた。
先祖が山の斜面を切り拓き、水を守ってきた棚田が連なるのどかな地域である。
私が後継ぎとなることを疑わなかった両親は、農家の仕事を徹底して仕込んでくれた。
水を守るためにあぜをぬり、苗を育てる。
田植え、稲刈り、籾摺り。精米をして、新米をいただく。
春祭りと秋祭りの違いに気付き、祭りを楽しむ。
俵編みの傍らで縄をない、昔話を楽しむ。
牛を飼い、鶏も飼い、山羊も育てた。新しい命の誕生に立会った。
鶏の卵をいただき、卵を産まなくなった鶏を食卓にのせ、山羊の乳、肉をいただいた。
命を粗末にしない方法を教わった。
がけで足を滑らせ、命を落とした山羊を埋める穴を掘り、自らの不注意を詫びて両手を合わせた。
いただいた命と失った命の扱いの違いを学んだ。
しかし、社会情勢の変化から、山間地農業で生計を立てるのは難しいと判断した父に、「一生懸命生きよ。」と背中を押されて農家を出た。

教員を目指す中で、もっと役立つ体験があったのではないかと悩んだ。
だが、小学校の教師は、百の姓を営む農家と共通する部分が多いことに気付いた。
生長の先にある実りを目指さない農作業がないように、一つ一つの教育活動が子どもの成長とその先にある自立につながっていると考える。
どんなに弱々しい苗も目を掛け、手を掛け、愛情を注ぐと立派に実る。
作物と子どもの成長は似ていると悟った。
さわやかな風や優しい光ばかりでなく、うっとうしい梅雨やくらくらする真夏の太陽が確かな成長に欠かせないことを実感した。

今再び、子どもたちの体験の重要性が注目されている。
結果を意識し、成果を急ぎ過ぎていないだろうか。
どんな体験も「価値ある体験」である。
ただ、半端でなく、真剣であるかどうかが問われることは間違いない。