第 5号 柔軟な心と目

私の回りには多くの特別支援対象児,者(障害児・者と言われていた方たち)や,心の病を持った人たちがいます。

 そして,その周りには,本当に本気でその方達の事を考え悪戦苦闘している方々もいます。

 始めは,ちょっとしたきっかけでそういう人に関わり,結果離れることが出来なくなった人,好むと好まざるとにかかわらず関係しなければならなかった人,事 情は様々でしょうが,みなさん本当に一生懸命です。

ある障害を持つ中学生の親御さんの話です。

 最初は「変わった子」「みんなとはちょっと違う子」ということから仲間はずれにされたりいじめられたりしていましたが,障害があると言うことがわかり,そ の事をクラスメイトの保護者に話したところ,「始めから行ってくれれば良かったのに・・・」と言う返事が返ってきたとか。

 一体それはどういう意味なのでしょう。

 障害を持っている子ならいじめなかったけど,障害がないちょっと変わった子ならいじめたり,仲間はずれにしても良いというのでしょうか?

 そのようなことが許されるはずはありません。

先日,ちょっとした拍子に腰を痛めました。

 その時,下にあるものを拾うという単純な行為がこんなにも大変な事なのかと,思い知らされました。

 その時,ただ拾うという動作であっても,腰を曲げる方法,膝を曲げる方法,道具を使って手だけで拾う方法,足で拾う方法,時には口で拾う方法,ついには他 人に拾ってもらう方法など,本当に様々であると気づきました。

 社会的にはあまり良しとは言えない行為であっても,もしその人にとってそれが最良の方法であるなら,認めてあげられるような広い心と目を持ちたいと,つく づく考えさせられました。

 自分の判断基準だけでいい、悪いと決めつけてしまう大人にならないように柔軟な心を持って行けたらと思うのです。